弘法の筆謬り

外資系企業で働く戦略コンサルタントのブログです

紙を”キレイ”に書くのは本当に無駄なのか

この記事はある種の宗教論です。

コンサルタントの書く紙(スライド)は、基本的にキレイであることが求められます。

中にはスライドライティングが絶望的に苦手で、メッセージのクリアさやコンテンツの価値一本で勝負している人もいますが、少なくともジュニアスタッフのうちは一般的にキレイとされる紙書きの作法は守る必要があります。

それこそ線の太さ、オブジェクトの位置、色使い、ページネーションの統一、文字の大きさ、フォントの統一、箇条書きのインデントなど、チェックポイントを挙げればキリがありません。

しかし昨今、働き方改革の余波を受けて、「キレイ」なスライドはROIが低い、無駄なものであると切り捨てる論調も散見されるようになりました。

紙を”キレイ”に書くことは本当に無駄なのか

そもそも紙をどれだけキレイに書いたところで、コンテンツ自体に価値がなければなんの意味もない、というのもその通りです。コンテンツの質は伴った上での話です。紙の見た目ばかりに気を取られて肝心の中身が伴っていないのは論外です。

その前提を踏まえてなお、私は(特にコンサルタントが作る)スライドはやはりキレイであるべきだと考えています。

理由を敢えてMECEに語るとすれば、機能的価値と情緒的価値の2つです。

機能的価値:クライアントの意識を最大限コンテンツの内容に向ける

一言で言うと、クライアントにコンテンツを伝える際にノイズとなるからです。

人間不思議なもので、(いくら口では見た目は気にしないと言っていようが)誰でもズレているオブジェクトには本能的に注意が向きますし、違和感のあるフォントや誤字脱字にも無意識に気を取られるものです。

プレゼンテーション中には我々は精一杯伝える努力をしますが、その意識が「違和感」の認知に使われてしまうと、クライアントへの伝達に支障を来します。

徹底的にノイズを除去する、これは一つのわかりやすい価値です。

情緒的価値:迫力を伝える

繰り返しになりますが、本質的な価値はコンテンツの質であり、スライドのキレイさではありません。逆説的ですが、見た目が本質的に価値ではないからこそ、キレイに書くことに意味があると考えています。

見た目がガタガタの資料と、整って美しい資料、どちらも同じことを言っているとしても、その資料から伝わってくる非言語的な「迫力」が全く異なります。

文字列やコンテンツの内容が「情報」を伝えるものであるならば、スライドのキレイさは、そのコンテンツが信頼に足るものであるという「迫力」を伝えるためのものではないでしょうか。

人間どこまでいっても、100%論理では動きません。ちょっとした見た目の違いで人がそのコンテンツに関して感じる印象は変わるものです。

コンテンツ自体もさることながら、それを作った人間から伺える覚悟や目の色で意思決定をする人も少なくありません。

究極的なコンサルティングの価値が成果物の提出ではなく物事を前に進めることにあると考えるのであれば、こういった「見た目」の非言語的価値にも(時間が許す限り)こだわりたいところです。

 

「わかる」のレベル感

 

物事を「わかった」と表現することのレベル感は、人によって異なります。
それぞれの「わかり方」ごとに一長一短あるので、どれが一番良い悪いという話ではありませんが、少なくとも「わかり方」にはレベル感がある、人によって癖の差があるのだという話です。

わかり方の分類

Lv1. 表面的に定義を丸覚えしてわかる人(Aである。)

何か新しいことに触れた際、それを鵜呑みにしてしまうわかり方です。
物事を表面的に捉え、いろいろな情報をかき集めるのが得意なタイプ。
スピード感にはあふれますが、一方でなぜそうなるのかということをあまり考えるタイプではないので、深い議論ができません。

Lv2. なぜを理解してわかる人(Aである。なぜならA'だから。)

Aである、ということを言われても、素直に納得はせず、なぜそうなるのかという理由が伴って初めて「理解した」というわかり方です。
人によっては、上司から「あまり素直ではない人」というレッテルをはられることもしばしばあります。
物事を深く考える癖がついているという点では優れていますが、Lv1の思考法と意識的に使い分けないと、他の人がスッと流すような部分にも噛み付いてしまうなど、面倒な人になってしまうこともあります。

Lv3. 他との関連を理解してわかる人(Aである。AはBとxxな関係がある)

その定義、なぜそれがそうなるのかということに加え、他のものとの関係性も含めて理解しないと理解した、と言わないタイプです。

あるテーマについて全体マップのようなものを持っており、このマップの中でこの事柄はここに位置づけられる、というわかり方をするものです。

この思考は物事を構造化して捉える際に必要になるものですが、すべての事柄についてこういう理解をしようとすると非常に時間がかかります。

大体の書物や人の話し方というのはこういったものではないので、思考としてはとても負荷がかかります。

例外や反例を理解してわかる人(Aである。Bでも、CでもなくAである)もこのタイプです。

わかり方はひとそれぞれ、理解の早さと深さは相関しない

コンサルファームでも人によって理解の早さは本当に異なります。
「わかった」と言ってもLv1でわかったと言っているのか、「わからない」と言ってもLv3でわからないと言っているのかで全く事情は異なります。

物分りの良い、理解の早い人が賢いとされがちですが、わかり方にはレベル感があるということを考えると必ずしもそうではありません。

Lv3の人がLv1のよりも必ずしも優れているかというとまたそれも別の話です。
求められる理解の深さは職業やシーンによって異なります。それぞれの思考の長所や短所を生かして使い分けられるようになることが最も良い「わかり方」だと考えます。

 

「わからない」の類型化

こちらの記事で、コミュニケーションが上手くいかないのはお互いに原因が有るという話をしました。今日はそのコミュニケーションが上手くいかない理由をもうすこし掘り下げます。特に、話の聞き手の立場から、他人の話を理解できないことの理由を言語化してみます。

「話がわからない」の3類型

話が理解できないと一口に言っても、大きく3パターンあると考えています

1. 話が聞こえていない

話が聞こえていないということも厳密には2つあります。

一つは、物理的に聞き手に音が届いていないという状態。この場合は解決策は簡単で、単に静かな場所に行くか大声を出して話すかのどちらかになります。

もうひとつは、音声としては届いていても聞き手の頭を素通りしている状態です。

元も子もない話ですが、実はこれが一番原因として大きいのではないかと思います。
これは利き手側が悪意を持って聞き流しているというわけではなく、関心事があさっての方向に存在する場合によくこうなります。

「うわー金曜のこの時間なのにまたタスク増えるのかよ…21時に入れてた飲み会遅れるって連絡しないとな…」だったり、「さっき電話が掛かってきてたけどなんだろう、気になるな…」だったり、理由は様々ですが、少なくともその話以上に重要な事がある状態です。

他にも、上司と部下が会話しているときであれば、その話し方の態度次第では部下を萎縮させてしまい、防衛反応として音声が遮断されることもあります。

後者のケースでは話をする以前に関係性の構築からやり直す必要がありますが、少なくとも会話内容が今我々にとって重要であるというという意識をもたせるための工夫が必要です。

2. 話は聞こえているが、内容の理解ができない

これも細かく分けると3つになります。

1つ目は言語や単語・専門用語を知らないという状態。
例えば英語。話している内容が平易であってもインド人の英語は一般にリスニングが難しいと言われますし、その他自分が知らない英単語はそもそもどれだけ集中していても理解することはできません。

英語ならよくわかるこの現象ですが、日本語でも往々にしてよく起きる問題です。自分が勉強不足で一般用語を知らないのか、知らなくて当然の専門用語なのかの判別がつけばまだ良い方です。

特にイケてない社会人ほど、難しい横文字や専門用語を使ってマウントをとりがちです。質問をしても「こんなこともしらないのか」と言われる恐怖がありますから、話す側はできるだけ平易な言葉を使う必要があります

2つ目は論理に飛躍がある状態です。
当然ですが、論理に飛躍があれば聞いている方は理解ができません。しかし社会のリアルとして、そこまでキレイな演繹や帰納法によるストーリーで語られることは稀で(これは話し手のスキルの問題)、聞くに堪えない状態があります。

論理に飛躍や論理破綻があると、通常そこに気を取られます。「なぜそうなるのか」の理由を勝手に脳内補完し始めるので、「1. 話が聞こえていない」の状態に陥ることになります。

3つ目は言葉が曖昧で様々な解釈をし得る状態です。

これも2つ目と同様、その言葉のもつ意味を自ら推し量り、考えることに勝手に頭を使ってしまうので、「1. 話が聞こえていない」状態が招かれがちです。

横文字をつかったコミュニケーションにありがちです。バリューだったりビジネスモデルだったり、コンサルティングファームでもケースが異なれば異なる定義を持つものも少なく有りません。

3. 内容は理解出来ているが、その背景や意図が理解できない

話は聞こえているし、内容も論理的に理解できている状態です。通常この状態になれば、正しくコミュニケーションが取れていると思いがちですが、大切なのはここからです。

具体的に、話し手のその話の意図や背景、もっと言えばその話をするに至った経緯を知らないと、内容が理解できたとしても、仕事自体が前に進まないことがあります。

結局この話の背景にある、話し手の意図(裏にある目的)を正しく捉えられないと、言われたことしかしない、できない人になってしまいます。これは聞き手の意識として常に「Why」を持つべきというところと近いものだと思います。

すこし長くなりましたので、今回はわからないの類型化にとどまってしまいましたが、これらの「わからない」についての詳しい解決策は別記事に譲ることとします。