弘法の筆謬り

外資系企業で働く戦略コンサルタントのブログです

コミュニケーションの大前提

就活生時代、コミュニケーション能力を売りに自己アピールをしていた人も多いことと思います。

実際、大学生が定義するコミュニケーション能力と社会人が求めるコミュニケーション能力の定義に大きな乖離があることはよく言われている話ではありますが、社会人になってから学生時代に「コミュ強」だったはずの人が職場でのコミュニケーションがうまくいかず悩む人は少なく有りません。

コミュニケーション能力とは

私なりのコミュニケーション能力の定義は「話し手の意図を正しく汲み、聞き手に対して自分の思いを正しく伝えることを通じ、物事を前に動かすことのできる能力」です。

気の利いた言葉で場を盛り上げることができることや、聞き上手で相談に乗るのが上手く、女子から恋愛相談をよく受ける、といったタイプのコミュニケーション能力もこの定義とは少しズレます。

このコミュニケーション能力が備わっている人は、驚くほど少ないのが実感値です。

「話し手の意図を正しく汲み」というのは、キャッチボールで言えば相手が投げた球をしっかりと受け止めること、「聞き手に対して自分の思いを正しく伝える」というのは、球を自分が正しく相手の構えているところに投げることをそれぞれ指します。

これに加えて「物事を前に動かすことのできる」というものを定義に追加していますが、どれだけ雄弁だったりどれだけ聞き上手であったとして、その会話が物事を進展させない限りは何ら価値を生まないということを意味しています。キャッチボールであれば、ちゃんと玉ねぎやじゃがいもじゃなくてボールを投げているか、というところでしょうか。

コミュニケーションの問題点

コミュニケーションを一切取らずにできる仕事というものは存在しませんので、誰もがこのコミュニケーションに苦労するわけですが、コミュニケーションについて非常に厄介なのは、

コミュニケーションが成立しないとき、聞き手は話し手の話し方の拙さを責めがちであり、話し手は聞き手の理解力のなさを責めがちであるということです。

プレゼンテーションの内容を聞いていて全く頭に入ってこない場合は、「こんな意味不明なプレゼン資料をつくりやがって」と怒る人こそいても、「このプレゼンが理解できない自分はバカなのではないか」と悩む人は本当に少ないでしょうし、

自分の話が全く理解できない相手に対し、「これくらいの論理や言葉も知らないなんて、勉強不足にも程がある、聞き手に学がなく頭が悪いのが悪い」と思う人こそいても、自分を責める人は本当に少ないと思います。

ミスコミュニケーションは双方の問題

コミュニケーションというものはキャッチボールと同じなので、球が相手に正しく届かない、相手の球がキャッチできないのはいかなる場合でも双方に責任があると考えるべきです。

受け手としては球の投げ手の肩が弱くてボールが届かないなら近寄ればいいですし、球が速すぎるならゆっくり投げてくれと言えばいいだけの話です。

同様に投げ手としても、受け手の構えている場所にきちんとボールを投げるべきですし、多少キャッチが下手くそなら変化球ではなくて、ゆっくりめのストレートを投げてあげればいいだけの話です。

キャッチボールなら双方は歩み寄るのですが、こと仕事上のコミュニケーションとなると途端に相手をバカだの能無しだの言い始めます。

相手の話がわからないなら質問をして理解するように努めるべきですし、自分の話が理解されていないと思うのであればわかるように噛み砕いてゆっくり話すように努めるべきです。

時間がない中そんなイチイチ人に併せてコミュニケーションスタイルを変えていられないと言うかもしれませんが、適切にコミュニケーションされずに生まれる仕事のアウトプットほど無駄なものは有りません。めんどくさがらずに会話をしないと物事は前に動きません。

細かいコミュニケーションスキルは色々と語られていますが、それ以前のコミュニケーションの大前提について意識的になるべきではないでしょうか。